人生と『エネルギー保存の法則』

松岡農水大臣が自殺した。

彼にとっては”功なり名遂げた”末の死と言えるかもしれない。(総理大臣は特別な”運”を持った者しかなれないと思う)

奥様が通夜で”62年の人生を太く短く駆け抜けて、いい人生だったと思う”と挨拶されていたが、夫の苦悩を身近で見てきただけにある意味ホッとしているのではないだろうか?

彼は「農林のエキスパート」として、”攻めの農業”をかかげて、「安全で品質のよい」日本の農産物を世界に売り出そうと努力していたという。

海外の日本食レストランで食べた『日本食』があまりに『日本食』とは名ばかりのいい加減なものだったことに驚き、海外の日本食レストランに”認証制度”を導入しようとし、それと並行して日本の農産物(高いが安全で品質のいい)を海外に売り込もうとしていたのである。

しかしフランス人から見ると、日本のフランス料理は変わったゲテモノ料理に見えるかもしれないし、イタリア人から見ると日本のイタリア料理はいいかげんな日本風イタリア料理に写っているかもしれない?ことを考えると”認証制度”は少しやりすぎのような気もするが、そのアイディアや良しである。

この人は鈴木宗男と同じで、”金”のにおいのするところに本能的に引き寄せられるタイプの人間であったようだが、官僚出身だけに官僚の扱い方は非常にうまかったという。

例の「ナントカ還元水」の問題がなければ、いやそれよりも「緑資源機構」の談合事件が無かったならば、意外と”名農水大臣”として後世に名を残していたかもしれない。


最近私が思うのは、”人生=エネルギー保存の法則”ということである。

『エネルギー保存の法則』とは、たとえば階段で上っても、エレベーターで上がっても、使ったエネルギーの総量は変わらないということである。

つまりエレベーターで上がった方が楽ではあるが、その分エレベーターを動かす電気のエネルギーを使っているのでエネルギーの総量としては階段を上がるのと同じということである。

人生もこの『エネルギー保存の法則』と一緒で、強引な手練手管を使って農水大臣に上り詰めても、田舎でのんびりと一生を終えても、その「幸せ度」=「満足度](獲得した地位や名誉、財産からそれに費やしたエネルギーや失ったもの、犠牲にしたものを差し引いた残りのもの)の総量は同じではないかということである。

しかし、松岡大臣に阿蘇でのんびりと農業をやって暮らせといっても性格的に出来ないだろうし、私に大臣目指してがんばれと言われても無理なことである。

人それぞれがその与えられた環境の中で人生=『エネルギー保存の法則』を自覚して生きれば、人をうらやむこともないだろうし、皆が心安らかに過ごせるのではないだろうか?

こういう小話がある。

ある先進国の人が、貧しいアフリカの人に、「一生懸命働かないとダメだよ」というと「一生懸命働くとどうなるの?」と聞くので「一生懸命働くとお金がいっぱい入ってくるよ」「お金がいっぱい入ってくるとどうなるの?」「働かなくてものんびり暮らすことができるよ」「じゃー今といっしょだ」と言ったという。


マスコミでは「松岡大臣は、2人の重要閣僚(級)がやめさせられたあとなので、これ以上やめると任命権者である安倍総理の責任問題になるので、本人がやめたくてもやめられなかったのだ」と報道されているが、どうもこの事務所費の問題は松岡大臣も安倍総理もこのまま、あいまいなまま乗り切れると思っていたようである。

それよりも「緑資源機構」の東京地検特捜部の捜査の矛先が、自分の地元に及んだことに観念しての自殺であったように思う。

松岡大臣は死ぬ前に阿蘇の実家に帰り先祖の墓参りをしたと報道されているが、こうなる前に『ご先祖様』の墓参りをよくしておれば、もっと違った方向(よい方向)に進展していたかもしれない?と私は思っているのだが・・・。


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